2009年08月17日

ep5読了と、時計のはなし

ep5読了。
GMが違う事でどう変化があったのか、が
ベアトがGMとしてどういう事がしたかったのか、の違いになるかと思う。

あと、ストーリー的に裁判員制度を意識してるのかな?って感じた。
無実だと知っているのに、状況証拠から有罪を言い渡される可能性。
どちらの立場にも立ってみなければならない事など。
ま、裁判員に限らず、世の中の見方としても指針になるけど。

ちょっとだけ、スレのほうでも書き込んできた。
ネタは、ノックと手紙のくだり。
以下は、自分なりのまとめ。


手紙とノックの赤字ラッシュから、
ノックをした人物Xがいる可能性がまだ残されているか、
大時計の時間がずれている可能性が、ヒントとして出された。

いかに大時計の時間がずれていても、正確な時間は個人の腕時計などで確認可能。
また、手紙の内容や、大時計の音に合わせたノック音から、この手紙での儀式性を出したかったと推測できる。
つまり、この手紙を置いた人は、大時計がずれていた事を知らなかったと推理できる。
また、未知の人物Xが居なかった場合、
ゲストハウス組の誰かが、ノックと手紙を行ったって事になる。
ただし、手紙の主とノックと手紙を置いた人が同一人物かは不明。
posted by stem at 19:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月04日

下位世界と上位世界

うみねこ全体としての世界観としては

メタ世界ではファンタジーや魔法が許されている世界。
下位世界である六軒島での出来事を、魔法抜きで推理するように読者は求められている。

上位世界は、下位世界を俯瞰して会話をしているわけであるが、
互いの世界には直接干渉できないのではないか?と考える。

上位世界はファンタジーというか、魂のようなもの。
下位世界を知覚できているが、下位世界では上位世界は知覚できない。
実際ベアトは九羽鳥庵に幽閉されている時には、自分が魔女であった事を覚えていないが、死ぬ事で記憶が戻った、と言っている。
魂の記憶があるが、それは下位世界を生きる間には封印されているという事だ。
ただし、シャノンカノンの言動は上位世界を知覚しているようにもみえるし、制服ベアトも個人的には各epで試行錯誤しているのでは?と考えているので、記憶云々は別物かもしれない。と都合よく保留。

とりあえず、いかに黄金と無限の魔女であろうとも、六軒島の2日間に魔法をもって直接干渉することは不可能。

上位世界のベアトリーチェは、ノイズまじりの下位世界をバトラに俯瞰させる事で、何かに気づいてもらおうとしている様子だ。
だが、いくら上位世界のバトラが気がついた所で、下位世界のバトラの動きを変えることはできないのでは?
上位世界のバトラが碑文の謎を解く事で、なにかしらの変化があるのだろうか?
ベアトが何度もゲームを繰り返すのは、そのゲームの結果がどうなろうと満足しているのではなく、望む結果にならないのでゲームを繰り返しているのでは。
これじゃ、ひぐらしと同じかもしれないけど。
目的がないように見せかけているのが、ベアトの秘密なのかもしれない


ひとつのストーリーを考えるならば
名家のお嬢様として育てられた少女は、お抱え錬金術師であった
「ベアトリーチェ」という無限の魔女から魔法の手ほどきを受ける。
「無限の魔女ベアトリーチェ」の名を受け継いだ少女。
その少女と肉体を同一にするか、新たに転生したのかは定かではないが、
その後、金蔵と出会う。
金策に苦しむ金蔵に、黄金を授けるベアトリーチェ。
ファンタジーによって黄金を生み出したわけではなく、実際に現実の黄金を用意することができたのではないかと思う。
金蔵はベアトリーチェを愛するが、彼女は死んでしまう。
その魂を再び現世に呼び込もうと、金蔵は新たなベアトを作り出し、ベアトの魂もそこに収まる。
九羽鳥庵で囲われるも、ほどなくベアトは事故死してしまう。
そして3人目のベアトリーチェもまた、金蔵によって六軒島に囚われる。
ベアトリーチェは六軒島から出られない。
魔女ベアトリーチェは、鏡の力のせいで抜け出せない。
もうこの魂の牢獄から抜け出したい。


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posted by stem at 15:21| Comment(0) | 世界観 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月01日

メッセージ

世界は無限の可能性を秘めている。未来は定まらない。
何かを現実のものとすることは、誰にも不可能を証明できない。
現実のものとするためにどうすればいいか、考えろ。

これはうみねこの世界の話だけではない。
現実世界のわたし達に向けての作者のメッセージだ。

私たちは日常、自分の可能性を信じる事もなければ、
何か実現したい願いもない。その実現のために考え、行動することもない。
その現状に対して、問題提起しているわけである。

この物語を読み解く人々が、願いを実現さるためにあらゆる可能性を模索して、これを達成する方法を考えるようになってほしい。

「うみねこのなく頃に」は、そういう生き方をするための導入書、補助具のような存在で、つまりは、魔導書=目には見えないものをコントロールする術を書いた書物となるべく生み出されたものではないだろうか。
posted by stem at 20:47| Comment(0) | 竜騎士07の意図を読み解く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「黄金」と「無限」の世界観

ベアトリーチェは「無限」と「黄金」の魔女。
作中には他に「絶対」の魔女や「奇跡」の魔女など、称号を持つ魔女が多数登場している。

その魔女の魔法体系を記したものを、魔道書という。
現在最も普及している魔道書を聖書としている点から、
魔法体系とは、思想と置き換えられるだろう。
ならば魔女とは一体何なのか?
「無限」や「黄金」、「絶対」という「言葉」は概念だ。
そういう「言葉」によって、私たちの思考は支えられている。
魔女はその概念を擬人化させたものではないだろうか?
人の思考の根源をつかさどる、思いや感覚そういったものだ。
千年生きた、というのは、その言葉が生まれて、人々に根付いて千年(永い時)が過ぎたという事。


「無限」というのは、一体どういうものだろうか。
作中のベアトは「無限」の力を用いて、無限に惨劇を起こす。
外側から観測されない限り、密室も、六軒島も、「うみねこ」も、あらゆる無限の「可能性」がある。
これがベアトの「無限」の魔法だ。
また、これは私たちの世界にも通じている。
うみねこ世界を観測するわたし達ではあるが、わたし達自身は観測されない。無限の可能性がある世界。


一方「黄金」だが、黄金というのは正確に言えば、
金蔵に現実の「黄金」というものを与えた、魔法によって実現化させた、という事だ。
箱を開けた時に、そこで何が起こったかはわからないが、六軒島の人間が全滅したという事実。
想像上ではなく、それが事実であると保障されている事が「黄金」の概念である。
赤字が使える空間も「黄金」の魔女だからこそ、構築できたわけだ。

この対比は、
「アンチミステリー」と「アンチファンタジー」にも対応する。
無限の可能性がある、ということは「アンチミステリー」であり、
幻想ではない黄金が実際にあるというのは「アンチファンタジー」だ。
わたし達が「アンチミステリー」vs「アンチファンタジー」で煽られているように、「黄金」と「無限」は、対立する思考に見える。
だが、ベアトリーチェはこの二つの概念を両方とも我が物としている。

この思考を矛盾させないために、ベアトは
マリアの「原初」の魔法を取り込んだ。
0から1を作り上げる力があれば、「無限」に現実化(「黄金」)を行うことができる。
つまりこれは、創造主たる作者と同列の事ができるという事だ。
むしろ、明言はされていないが、ベアトが作者の代弁をしているといったほうがいいような気がする。
ベアトとバトラの対立式は、そのまま作者と読者の対立だ。

ただし、作中の設定から、ベアトリーチェの力が及ぶのは、マリアとベアトがお互いに魔女だと尊重しあうことが条件とされている。
他者と関与し、認めあう事でその魔法は成立する。


対立しているはずの「アンチミステリー」と「アンチファンタジー」は、
実は共存できるものだ、と考えられる。
うみねこの物語は「アンチミステリー」であり、「アンチファンタジー」なのである。
推理は不可能(現実世界と同じく、無限の可能性が否定できないという意味で)、しかしファンタジー(魔法で黄金を作り出したり密室をつくったりするという意味)でもない。
今ある情報ですべてを解決できるわけではない。
だが、作者は何度も言う。思考を止めるな、考え続けろ、と。


世界は無限の可能性を秘めている。未来は定まらない。
何かを現実のものとすることは、誰にも不可能を証明できない。
現実のものとするためにどうすればいいか、考えろ。

posted by stem at 20:09| Comment(0) | 竜騎士07の意図を読み解く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

なく頃にシリーズ

「ひぐらしのなく頃に」と「うみねこのなく頃に」

「な」の字だけが赤字で且つひらがなで書いてあるのは
鳴くという単語が掛詞になっているからだ。

かけているのは「泣く」だと思うが、では泣いているのは何か?

ひぐらしというのは、蛆虫型のセミヤドリガの幼虫が寄生することがあるらしい。
寄生といわれたら、ひぐらし読者にはキーポイントであったはず。
未知のなにかに寄生されていたと思われる雛見沢の住人たち。
(又は羽生に寄生されていた梨花ともとれる)
つまり、雛見沢にいる登場人物たち(又は梨花)が泣く頃の話である、という意味だ。


同様にうみねこについてだが
海鳥のウミネコは、留鳥で群れで生活する、肉食の鳥らしい。
ウミネコに比喩されているのは、六軒島の住人。
もちろん、単になく頃にシリーズとして、同じ題名をつけたとか
季節的、地理的な意味でうみねこを採用した可能性も高いのだが
群れで生活する留鳥が意味するのは、六軒島の住人の本質が
「家」に縛られた人々だという事ではないだろうか?

まぁ、ストーリーを見れば、そんなの改めて言わなくても、な話ではあるけれども。


でも実際は逆にウミネコはストーリー上では鳴いていない。
ひぐらしでは、カナカナカナというセミの鳴き声が、ストーリーの緊迫具合とうまい具合にマッチしていた。
ウミネコが鳴かないのは、別の意味でのうみねこと比喩される人がいて、その人がまだ涙していない、という意味なのかもしれない。
posted by stem at 06:33| Comment(0) | 竜騎士07の意図を読み解く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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