2009年08月20日

アンチファンタジーVSアンチミステリー

以前の日記(「黄金」と「無限」の世界観)で
この単語について、ベアトが黄金と無限、両方の魔法が扱える事から
アンチファンタジーとアンチミステリーも共存するものではないか?と考えた。

しかしep5では、
【ファンタジー】がある世界で、
ファンタジーを否定する【アンチファンタジー】という立場をとっていた私たちが
【ミステリー】に則るようにと言われた。
【アンチミステリー】とは?という疑問には、バトラは答えていない。

わざわざ「ファンタジーを否定する」をミステリーと言わなかったのは、
単にそのほうがキャッチとして好ましかったからではないと思う。
アンチファンタジー(推理可能)とミステリー(推理可能)。同じようで、同じではない。
私たちはミステリーの立場で推理する事は求められていない。アンチファンタジーの立場で推理する事を求められている。
ep5でノックス十戒が出てきたが、これは物語を読み解く上での
思考の杖になるといわれた。思考の杖にしかならないのだと思う。
うみねこはミステリーでは無いのだから、ノックス十戒に従う必要も無いのだ。
だが、それでもアンチファンタジーとミステリーの似た部分が、ノックス十戒を参考にすることで、推理しやすくなると思うよと言っているだけなのではないだろうか。

アンチミステリー(推理できない)とファンタジー(推理できない)はどうか?
ベアトはファンタジーの存在ではなく、アンチミステリーの存在?
アンチミステリー、ミステリーでは無い、推理はできない、というのは
確かにファンタジーを含む場合もあるだろう。
だが、あえて【ファンタジー】ではなく【アンチミステリー】だとするなら、
推理できないのは、魔法幻想などのファンタジーがあるからではない、という事。
ノックスやダインといった「お話」を作る上での決まり事が無い世界で、
誰かが嘘をついたり、ごまかしたり、装飾したりしているから。

私たちが生きるリアルな世界と、限りなく近いというだけなんだと思った。
だからこそ、このうみねこのテーマは、情報リテラシーみたいなものもあるんじゃないかな、と思う。
誰かの武勇伝や脚色、うわさ話に尾ひれがついて、ブラウン管の向こう側の人の発言に隠された意図やねつ造。
私たちはその中からどうやって真実を見つけるのか?
そういったものを箱庭のように詰め込んだのが「うみねこのなく頃に」ではないだろうか。
posted by stem at 17:17| Comment(0) | 竜騎士07の意図を読み解く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月01日

メッセージ

世界は無限の可能性を秘めている。未来は定まらない。
何かを現実のものとすることは、誰にも不可能を証明できない。
現実のものとするためにどうすればいいか、考えろ。

これはうみねこの世界の話だけではない。
現実世界のわたし達に向けての作者のメッセージだ。

私たちは日常、自分の可能性を信じる事もなければ、
何か実現したい願いもない。その実現のために考え、行動することもない。
その現状に対して、問題提起しているわけである。

この物語を読み解く人々が、願いを実現さるためにあらゆる可能性を模索して、これを達成する方法を考えるようになってほしい。

「うみねこのなく頃に」は、そういう生き方をするための導入書、補助具のような存在で、つまりは、魔導書=目には見えないものをコントロールする術を書いた書物となるべく生み出されたものではないだろうか。
posted by stem at 20:47| Comment(0) | 竜騎士07の意図を読み解く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「黄金」と「無限」の世界観

ベアトリーチェは「無限」と「黄金」の魔女。
作中には他に「絶対」の魔女や「奇跡」の魔女など、称号を持つ魔女が多数登場している。

その魔女の魔法体系を記したものを、魔道書という。
現在最も普及している魔道書を聖書としている点から、
魔法体系とは、思想と置き換えられるだろう。
ならば魔女とは一体何なのか?
「無限」や「黄金」、「絶対」という「言葉」は概念だ。
そういう「言葉」によって、私たちの思考は支えられている。
魔女はその概念を擬人化させたものではないだろうか?
人の思考の根源をつかさどる、思いや感覚そういったものだ。
千年生きた、というのは、その言葉が生まれて、人々に根付いて千年(永い時)が過ぎたという事。


「無限」というのは、一体どういうものだろうか。
作中のベアトは「無限」の力を用いて、無限に惨劇を起こす。
外側から観測されない限り、密室も、六軒島も、「うみねこ」も、あらゆる無限の「可能性」がある。
これがベアトの「無限」の魔法だ。
また、これは私たちの世界にも通じている。
うみねこ世界を観測するわたし達ではあるが、わたし達自身は観測されない。無限の可能性がある世界。


一方「黄金」だが、黄金というのは正確に言えば、
金蔵に現実の「黄金」というものを与えた、魔法によって実現化させた、という事だ。
箱を開けた時に、そこで何が起こったかはわからないが、六軒島の人間が全滅したという事実。
想像上ではなく、それが事実であると保障されている事が「黄金」の概念である。
赤字が使える空間も「黄金」の魔女だからこそ、構築できたわけだ。

この対比は、
「アンチミステリー」と「アンチファンタジー」にも対応する。
無限の可能性がある、ということは「アンチミステリー」であり、
幻想ではない黄金が実際にあるというのは「アンチファンタジー」だ。
わたし達が「アンチミステリー」vs「アンチファンタジー」で煽られているように、「黄金」と「無限」は、対立する思考に見える。
だが、ベアトリーチェはこの二つの概念を両方とも我が物としている。

この思考を矛盾させないために、ベアトは
マリアの「原初」の魔法を取り込んだ。
0から1を作り上げる力があれば、「無限」に現実化(「黄金」)を行うことができる。
つまりこれは、創造主たる作者と同列の事ができるという事だ。
むしろ、明言はされていないが、ベアトが作者の代弁をしているといったほうがいいような気がする。
ベアトとバトラの対立式は、そのまま作者と読者の対立だ。

ただし、作中の設定から、ベアトリーチェの力が及ぶのは、マリアとベアトがお互いに魔女だと尊重しあうことが条件とされている。
他者と関与し、認めあう事でその魔法は成立する。


対立しているはずの「アンチミステリー」と「アンチファンタジー」は、
実は共存できるものだ、と考えられる。
うみねこの物語は「アンチミステリー」であり、「アンチファンタジー」なのである。
推理は不可能(現実世界と同じく、無限の可能性が否定できないという意味で)、しかしファンタジー(魔法で黄金を作り出したり密室をつくったりするという意味)でもない。
今ある情報ですべてを解決できるわけではない。
だが、作者は何度も言う。思考を止めるな、考え続けろ、と。


世界は無限の可能性を秘めている。未来は定まらない。
何かを現実のものとすることは、誰にも不可能を証明できない。
現実のものとするためにどうすればいいか、考えろ。

posted by stem at 20:09| Comment(0) | 竜騎士07の意図を読み解く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

なく頃にシリーズ

「ひぐらしのなく頃に」と「うみねこのなく頃に」

「な」の字だけが赤字で且つひらがなで書いてあるのは
鳴くという単語が掛詞になっているからだ。

かけているのは「泣く」だと思うが、では泣いているのは何か?

ひぐらしというのは、蛆虫型のセミヤドリガの幼虫が寄生することがあるらしい。
寄生といわれたら、ひぐらし読者にはキーポイントであったはず。
未知のなにかに寄生されていたと思われる雛見沢の住人たち。
(又は羽生に寄生されていた梨花ともとれる)
つまり、雛見沢にいる登場人物たち(又は梨花)が泣く頃の話である、という意味だ。


同様にうみねこについてだが
海鳥のウミネコは、留鳥で群れで生活する、肉食の鳥らしい。
ウミネコに比喩されているのは、六軒島の住人。
もちろん、単になく頃にシリーズとして、同じ題名をつけたとか
季節的、地理的な意味でうみねこを採用した可能性も高いのだが
群れで生活する留鳥が意味するのは、六軒島の住人の本質が
「家」に縛られた人々だという事ではないだろうか?

まぁ、ストーリーを見れば、そんなの改めて言わなくても、な話ではあるけれども。


でも実際は逆にウミネコはストーリー上では鳴いていない。
ひぐらしでは、カナカナカナというセミの鳴き声が、ストーリーの緊迫具合とうまい具合にマッチしていた。
ウミネコが鳴かないのは、別の意味でのうみねこと比喩される人がいて、その人がまだ涙していない、という意味なのかもしれない。
posted by stem at 06:33| Comment(0) | 竜騎士07の意図を読み解く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

現実世界とうみねこ世界

うみねこのキャッチコピー
「推理は可能か不可能か?」
「アンチファンタジーVSアンチミステリー」

このゲームは推理可能です、とお墨付きをもらわないと推理をはじめる事もできないのか?とベアトは言う。
アンチミステリーとは、うみねこ読者の中では「推理できないものだ」という作者からの挑戦状として受け止められていると思う。

ep3,4あたりから現実世界とのリンクする部分がみられる。
もっとも普及している魔法体系本が聖書だとか。
まるで現実世界に魔法があるかのような切り口だ。

現実世界とのリンク、という観点で考えると
アンチミステリーとは超現実世界。
現実世界で「わたし」が得た情報というのが、推理をするための前提として完璧というわけでもないし、そもそも推理が可能かどうかも分からない。そのときは推理できたとしても、その後新しい情報が出てこないとも限らない。それがわたし達が生きる世界だ。
人によって作られた物語ではあるが、その意味で「うみねこ」は非常にリアリティのある作品だと言える。
作者は「うみねこ」の世界を持って、私たちに「現実」を突きつけている。



前作「ひぐらし」は、凄惨でセンセーショナルな描写もある一方で、作者のメッセージはひとつであった。
「困った時には一人で悩まず相談しよう」
たった、これだけの事をいうための物語だったのだ、とあとがきか何かで書いていたと思う。
単なる面白いストーリーでも難解な推理でもない、作者は現代社会においてこの相談するということが、いかに難しいかを知っていて、あえてそれを丁寧に描いている。
一人で思いつめれば、短絡的に殺人という手段を思いつく。
その後の自分自身やまわりについて想像がつかない。
そんな子ども達が増えてきている。そのことに対する警鐘でもあろう。


では、「うみねこ」のメッセージは何か?
ベアトは言う、「考える事をやめたとき、お前の負けだ」と。
アンチミステリーを突きつけられたとしても、不屈の精神で魔女に立ち向かうことが私たちにできるだろうか?
考えろ、思考をとめるな。あらゆる可能性を想像しろ。
posted by stem at 06:03| Comment(0) | 竜騎士07の意図を読み解く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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